Story火炎辛麺とは

火炎辛麺創業者

河東均康

昭和47年_福岡県生まれ

河東均康

福岡県山田市下山田生まれ。
男4兄弟の長男で、自由奔放に育ちました。

小学生の頃は、キャプテン翼に憧れ、サッカーにのめり込みました。
中学生になると道をそれ、当時流行していたビーバップハイスクールに憧れ不良へと変身。
中学3年の春、愛情深かくホントに優しい母が他界。
勉強などやったこともありませんでしたが、運よく高校にも通うことができ、
当時の担任の先生のおかげでこれまた運良く、金融機関へ入社することができました。
当時はちょうど、バブル崩壊の時期で景気は年々低下。
景気回復には、何がこの社会に必要か?
自分なりに考え悩みました。

24歳で結婚。妻子がいる身。
家族を守らなくては・・・
お堅い仕事を辞めてまで自分がやりたいこと?やれること?自分は何がしたいのか?真剣に悩みました。
当時私は、毎日のように昼はラーメンを食べていましたので、大好きなラーメン屋がやりたい!と、先輩に相談。
しかし先輩に反対され、焼鳥屋に就職。
焼鳥屋で4年間店長を務め、いざ独立!
カッコイイお店に憧れ、カッコイイお店を作るがお客様が来ない。
繁盛店で働いていたせいか、料理が美味しければお客様は来てくれるはず・・・
しかし、丸一年間はずっと赤字。
何度も諦めかけたが、ピンチはチャンスの言葉を胸に、気合と根性で朝は10時から夜中の4時まで365日休まず働き続けました。
努力の甲斐もあり2年目より、ようやく軌道に乗る。
ここの苦労で、商売とはなんなのか?
お客様に喜んでいただくとは何なのか?
沢山の学びを得る。
日々勉強し数年が過ぎ、飲食業界に入った原点を思い出す。
元々は大好きなラーメン屋がやりたくて飲食の業界に入った自分。

そろそろ、本気でやりたいことへのチャレンジをしたい!
他人とは違う、なにかもっと強烈なインパクトのあるラーメンを作りたい!
焼鳥屋時代にヒット商品となる「つくね」も上海旅行で小龍包を食べたことでうまれたが、火炎辛麺は韓国で食べた激辛の冷麺からヒントを得る。
辛さの中に旨みがある。
それを博多の豚骨を使ってうまく表現することは出来ないだろうか?
豚骨と辛味だけならどこにでもある。
そんなことをやっても中途半端。
あともう少し、あともう少し飲みたくなるようなスープ作りに没頭。

そんなある日、弟の紹介でラーメンで成功している若手社長と出会いました。
この出会いをきっかけに私の夢は大きく前進。
既存店を閉店し辛麺屋になる決断をする。
そこから更に研究の日々。料理とは良い人が、良い料理をつくる。
私の仕事は職場に笑顔を作ること。
ひとりの力には限界があり、それ以上の何かを生み出すには人の力が必要。
しかし、こだわりを捨てないところが私のこだわり。
料理は正直ですから、心が現れます。
手をかければかけるほど、しっかりと答えてくれる。

長きに渡り研究しついに完成したのが、辛さと旨さとクセになる「究極の辛麺」
辛さと痺れの刺激の中に奥深い旨味で、何度も食べたくなるコク!
豚骨スープ+鳥ガラスープ+特製味噌のトリプルブレンドでこの、奇跡の一杯が完成しました。

博多といえば、豚骨スープに極細麺ですが・・・
スープとの相性が細麺ではどうしても腑に落ちず、小麦粉とタピオカ粉をブレンドした ツルッともちもちした麺をセレクト。
すると、麺にスープが想像以上に絡みつく。

これだ!
これで世界一の辛麺をお客様へご提供できる!
そんな思いを表現する、それが博多火炎辛麺赤神(ハカタ カエンカラメン アカガミ)のスタートとなりました。

ぜひ渾身の一杯をご堪能ください!

河東均康

世界の街を″人々の心を豊かに″
五感と五味が狂喜乱舞する
新たな味覚への挑戦…
博多火炎辛麺 ″赤神″

大震撼

宿ルハ・・・赤ノ神
眠っていた神(感覚)が目覚める。厳選素材の豊かな旨味が深く心に染み渡り五感が研ぎ澄まされる
・・・感動の究極辛麺 赤神降臨

心が欲する赤ノ刺激

未知の扉が開く遂に、本物の旨味を知る。
コク深い味わいの美味しさ。究極の辛麺がスープに旨辛む(絡む)。刺激がやみつき。
もう、戻れない。祀ルハ・・・赤ノ神

新時代・火炎辛麺

波に向かって立つ獅子のような存在感。
長年、改良を重ねたどり着いた赤神至極の1杯が眠っていた五感を刺激。本能が目を覚ます。
そして豊かに格別の旨味(百花の王)が咲き乱れる。